空想科学探偵 18話
そろそろ終わります。多分。
二〇一八年一月一一日
太陽が空から姿を消た黄昏時、雪が降り始めたが、米田の長い一日はまだ終わりそうになかった。
雪を弾くワイパーは、雪を巻き込んで鈍くしか動かず、どうするかと考えている頃、目的地に到着していた。
先月から迷走しながらも、国木優と嶋田九朗の事件が繋がっていることを突き止め、未知道に乗り込んだ。
未知道の社長・三毛を問いただしながら、彼は答えを見出すことが出来ずに迷走する中、陽子と再会した。
陽子は云う。自分は一色賢から探偵事務所を引き継いだだけの凡人で、彼の代わりにこの町のちょっとした幸せを守るだけだと。
しかしながら、憧れるということはその姿を追いかける姿勢のこちあり、米田は陽子の中に一色賢の機転を見出していた。
名探偵ではなく凡探偵、よく陽子の使う言葉ではあるが、この事件の真相に迫ったのが彼女だと世間が知れば、それは十二分に探偵としての名誉となるだろう。
ただし、陽子はそんなことを望んでいないことは米田自身も熟知しているし、そして“この事件の真相は決して明かされない”ということまで、米田は理解していた。
「米田さん、お久しぶりです」
「よく覚えていたな。事件以来だから、二か月ぶりくらいだというのに」
そこは須古冬美が逮捕された交番だった。そこにはあのときと同じく日下長一がひとりだけ駐在していた。
日下長一はパチンコ屋で陽子と会話していたときの温厚な様子はなく、張り詰めるように集中していた。
須古冬美を保護してから、何も変わっていない交番だった。
「……どうした日下? 何か訊かないのか? 今日の要件は何かとか?」
「どうでしょうね」
「ヒマだろ? 日下、全部教えろ。お前は“全部わかっていた”はずだからな」
「一介の交番勤務の巡査に過ぎない私が何を知っていると?」
「国木優と嶋田九朗の話だ。特に銃殺のおっかない“殺”の部分は置いておいて、まず“銃”の話をしようぜ。嶋田の頭を吹っ飛ばした凶器のな」
「未だに発見されていないらしいですね」
「発見は困難だと思ったよ。捨てようと思えば犯行から発見までが一時間半。移動と血糊を落とす時間を考えても二〇分程度しかないが、。事前に準備しておけば処分の手段は無限に考えられる」
だが、と米田は続けて手を出した。
「拳銃出せよ日下。お前のニューナンブだ。予備弾も」
日下はホルスターに入っている拳銃を取り出し、盗難防止用の紐を外して見せた。なぜと問うことも無く、予想していたとばかりに。
そして金庫を開けて予備弾丸を取り出す間、米田は手慣れた様子でリボルバー部分をスライドさせて弾倉を確認した。
「弾丸は全部有るな」
「ええ、使ったことが無かったので」
「それはウソだな。火薬の臭いがする。間違えようがない」
「手入れ中に暴発……させたことが有ったような気がします」
「ダウト。通らない。お前、始末書書いたことないだろ?」
「始末書?」
「それも知らないのか? 弾丸が足りないときは始末書を書くとお代わりが貰えるだろ」
始末書を書くのは使途不明や不適切な使用と思われる場合の話だということを米田が知らないというのも恐ろしいが、この場にそれを指摘する人間は居ない。
とにもかくにも、日下のニューナンブは拳銃は使われた拳銃のように火薬の臭いがし、その上、補充できるわけもないのに弾丸は全装填されていた。
「これだろ? 嶋田九朗の頭を吹っ飛ばした拳銃は? だから須古冬美はこの近くの歩道橋の上で意識を失っていた。お前に拳銃を返してから人格を交換したんだ。自然だろ?」
「……弾丸が全部入っているのが説明できないでしょう」
「足りない分は嶋田九朗の持っていた拳銃から取ったんだろ? あっちは弾丸が入ってなかったからな」
先ほど未知道カンパニーで関に見せられた拳銃のことだった。未使用だったにも限らず弾丸が入っていなかったものと、使用済みなのに弾丸が欠けていない拳銃。
数時間前、陽子が導き出した仮定だが、この場の拳銃が使用済みなのに弾丸が足りているという状況は、米田の中でその推測を真実であるという確信にまた一歩近づけた。
「未知道を支援していた企業の男(関)が嶋田に拳銃を用意してて、んで、お前の拳銃でその嶋田を殺して、そしてその弾丸がお前の拳銃に戻って来てる……おかしいよな、これ」
「……答えは簡単でしょう、ミステリーでは一番安易で、一番惨めな回答ですから」
「嶋田の頭を吹き飛ばしたのは……嶋田本人か」
人格交換というシステムが実用化されたとき、好き者同士のトラブルでそんな事案が有った。
“自分を相手に色々なことを試してみたいから身体を入れ替えた”ということだったが、そこから暴行事件に発展したという笑うしかない様な事件は米田の耳にも嫌というほど入ってきていた。
しかしながら、今回の猟奇的な殺人事件においては笑うこともできない。ただ見詰めることしかできない結論だった。
「それで須古冬美の肉体に嶋田か国木かお前が入って撃ったのは想像できるが、嶋田の肉体に入ってた人格は誰だったんだ?」
スマートに考えるなら須古冬美と嶋田九朗の肉体が入れ替わり、死んだ心は須古冬美だとすれば事件は終わる。
しかしながら、米田は刑事と容疑者として須古冬美と顔を合わせているが、その中には事件に巻き込まれた被害者という匂いしか感じ取れなかった。
中学生以来やっていないトランプを米田は連想していた。人格がシャッフルされて、どこにどのカードがあるか分からないが、須古冬美の肉体の中に居る人格は須古冬美本人であると神経衰弱ゲームで直前に見たカードのように確信している。
「撃ったのは嶋田さん本人ですよ。死んだのは……誰でもありません、いや、“誰にもなれなかった”、可哀想な子だけです」
「? 誰にもなれなかった?」
「米田さん、あなたはシュレディンガーの猫というのを知っていますか? 私には今回の事件が……その実検だったんじゃないかとすら思えるんです」
「知らんな。映画のタイトルか何かか?」
「……昔、ある科学者がひとつの粒子は“Aであると同時にBである”という説を唱えました。しかし、知人のシュレディンガーという科学者はこう反論しました。
【それは箱の中に猫を入れて、二分の一の確率で中に毒ガスが発生するようにしておく。その箱を開けない間は猫は生きている状態と死んでいる状態が同時に存在することになる】、と」
「禅問答に興味は無い」
「……あのとき、嶋田さんの身体の中に居た子は、シュレディンガーの猫だったんですよ。あの子で有って、あの子ではなかった」
米田が引き抜いて持っていた弾丸の一発が地面に当たって転げた。
雪の降っているせいだろうか、妙に澄んだ空気の中、それはとても綺麗な音を立てていた。
「分かるように話せ。全く分からん。それは国木優の話か?」
「いいえ、彼女ではありません。彼女は……どうしているかは分かりませんし、もしかしたら……私が殺したのかもしれませんが、恐らく生きています」
「お前は答えを喋る気が有るのか? 無いのか? さっきから俺に全て話しているようだが、何も説明できていないぞ!」
「……私も全部わかっているはずなんですが、説明がし難いので……これを読んでいただきたい」
弾丸が入っていた金庫の奥から日下が取り出してきたのは、変哲もない使い古されているもののキレイな大学ノートだった。
米田は弾丸と拳銃を机に置いてノートに目を通すと、それは細かく改行されて日付が振られている日記であり、内容から若い女の――独身で夢見がちな――アイドルというキーワードに深い関心を持つ人物――であることを読み取った。
「国木優の日記帳……? どこでこれを入手したッ?」
「彼女の家ですよ、彼女が……生きていた最後の日、生死が曖昧になって……死体になった日、彼女の家から持って来ました」
「居たのか? その場に」
「……ええ、私が……」
震えていた。恰幅の良く立派な警官姿の日下長一の手は暖房の効いた部屋の中で指先を揺らし、福々しい頬と耳たぶの間を結露のような涙が伝った。
「私が……その拳銃で彼女を、殺したんです」
太陽が空から姿を消た黄昏時、雪が降り始めたが、米田の長い一日はまだ終わりそうになかった。
雪を弾くワイパーは、雪を巻き込んで鈍くしか動かず、どうするかと考えている頃、目的地に到着していた。
先月から迷走しながらも、国木優と嶋田九朗の事件が繋がっていることを突き止め、未知道に乗り込んだ。
未知道の社長・三毛を問いただしながら、彼は答えを見出すことが出来ずに迷走する中、陽子と再会した。
陽子は云う。自分は一色賢から探偵事務所を引き継いだだけの凡人で、彼の代わりにこの町のちょっとした幸せを守るだけだと。
しかしながら、憧れるということはその姿を追いかける姿勢のこちあり、米田は陽子の中に一色賢の機転を見出していた。
名探偵ではなく凡探偵、よく陽子の使う言葉ではあるが、この事件の真相に迫ったのが彼女だと世間が知れば、それは十二分に探偵としての名誉となるだろう。
ただし、陽子はそんなことを望んでいないことは米田自身も熟知しているし、そして“この事件の真相は決して明かされない”ということまで、米田は理解していた。
「米田さん、お久しぶりです」
「よく覚えていたな。事件以来だから、二か月ぶりくらいだというのに」
そこは須古冬美が逮捕された交番だった。そこにはあのときと同じく日下長一がひとりだけ駐在していた。
日下長一はパチンコ屋で陽子と会話していたときの温厚な様子はなく、張り詰めるように集中していた。
須古冬美を保護してから、何も変わっていない交番だった。
「……どうした日下? 何か訊かないのか? 今日の要件は何かとか?」
「どうでしょうね」
「ヒマだろ? 日下、全部教えろ。お前は“全部わかっていた”はずだからな」
「一介の交番勤務の巡査に過ぎない私が何を知っていると?」
「国木優と嶋田九朗の話だ。特に銃殺のおっかない“殺”の部分は置いておいて、まず“銃”の話をしようぜ。嶋田の頭を吹っ飛ばした凶器のな」
「未だに発見されていないらしいですね」
「発見は困難だと思ったよ。捨てようと思えば犯行から発見までが一時間半。移動と血糊を落とす時間を考えても二〇分程度しかないが、。事前に準備しておけば処分の手段は無限に考えられる」
だが、と米田は続けて手を出した。
「拳銃出せよ日下。お前のニューナンブだ。予備弾も」
日下はホルスターに入っている拳銃を取り出し、盗難防止用の紐を外して見せた。なぜと問うことも無く、予想していたとばかりに。
そして金庫を開けて予備弾丸を取り出す間、米田は手慣れた様子でリボルバー部分をスライドさせて弾倉を確認した。
「弾丸は全部有るな」
「ええ、使ったことが無かったので」
「それはウソだな。火薬の臭いがする。間違えようがない」
「手入れ中に暴発……させたことが有ったような気がします」
「ダウト。通らない。お前、始末書書いたことないだろ?」
「始末書?」
「それも知らないのか? 弾丸が足りないときは始末書を書くとお代わりが貰えるだろ」
始末書を書くのは使途不明や不適切な使用と思われる場合の話だということを米田が知らないというのも恐ろしいが、この場にそれを指摘する人間は居ない。
とにもかくにも、日下のニューナンブは拳銃は使われた拳銃のように火薬の臭いがし、その上、補充できるわけもないのに弾丸は全装填されていた。
「これだろ? 嶋田九朗の頭を吹っ飛ばした拳銃は? だから須古冬美はこの近くの歩道橋の上で意識を失っていた。お前に拳銃を返してから人格を交換したんだ。自然だろ?」
「……弾丸が全部入っているのが説明できないでしょう」
「足りない分は嶋田九朗の持っていた拳銃から取ったんだろ? あっちは弾丸が入ってなかったからな」
先ほど未知道カンパニーで関に見せられた拳銃のことだった。未使用だったにも限らず弾丸が入っていなかったものと、使用済みなのに弾丸が欠けていない拳銃。
数時間前、陽子が導き出した仮定だが、この場の拳銃が使用済みなのに弾丸が足りているという状況は、米田の中でその推測を真実であるという確信にまた一歩近づけた。
「未知道を支援していた企業の男(関)が嶋田に拳銃を用意してて、んで、お前の拳銃でその嶋田を殺して、そしてその弾丸がお前の拳銃に戻って来てる……おかしいよな、これ」
「……答えは簡単でしょう、ミステリーでは一番安易で、一番惨めな回答ですから」
「嶋田の頭を吹き飛ばしたのは……嶋田本人か」
人格交換というシステムが実用化されたとき、好き者同士のトラブルでそんな事案が有った。
“自分を相手に色々なことを試してみたいから身体を入れ替えた”ということだったが、そこから暴行事件に発展したという笑うしかない様な事件は米田の耳にも嫌というほど入ってきていた。
しかしながら、今回の猟奇的な殺人事件においては笑うこともできない。ただ見詰めることしかできない結論だった。
「それで須古冬美の肉体に嶋田か国木かお前が入って撃ったのは想像できるが、嶋田の肉体に入ってた人格は誰だったんだ?」
スマートに考えるなら須古冬美と嶋田九朗の肉体が入れ替わり、死んだ心は須古冬美だとすれば事件は終わる。
しかしながら、米田は刑事と容疑者として須古冬美と顔を合わせているが、その中には事件に巻き込まれた被害者という匂いしか感じ取れなかった。
中学生以来やっていないトランプを米田は連想していた。人格がシャッフルされて、どこにどのカードがあるか分からないが、須古冬美の肉体の中に居る人格は須古冬美本人であると神経衰弱ゲームで直前に見たカードのように確信している。
「撃ったのは嶋田さん本人ですよ。死んだのは……誰でもありません、いや、“誰にもなれなかった”、可哀想な子だけです」
「? 誰にもなれなかった?」
「米田さん、あなたはシュレディンガーの猫というのを知っていますか? 私には今回の事件が……その実検だったんじゃないかとすら思えるんです」
「知らんな。映画のタイトルか何かか?」
「……昔、ある科学者がひとつの粒子は“Aであると同時にBである”という説を唱えました。しかし、知人のシュレディンガーという科学者はこう反論しました。
【それは箱の中に猫を入れて、二分の一の確率で中に毒ガスが発生するようにしておく。その箱を開けない間は猫は生きている状態と死んでいる状態が同時に存在することになる】、と」
「禅問答に興味は無い」
「……あのとき、嶋田さんの身体の中に居た子は、シュレディンガーの猫だったんですよ。あの子で有って、あの子ではなかった」
米田が引き抜いて持っていた弾丸の一発が地面に当たって転げた。
雪の降っているせいだろうか、妙に澄んだ空気の中、それはとても綺麗な音を立てていた。
「分かるように話せ。全く分からん。それは国木優の話か?」
「いいえ、彼女ではありません。彼女は……どうしているかは分かりませんし、もしかしたら……私が殺したのかもしれませんが、恐らく生きています」
「お前は答えを喋る気が有るのか? 無いのか? さっきから俺に全て話しているようだが、何も説明できていないぞ!」
「……私も全部わかっているはずなんですが、説明がし難いので……これを読んでいただきたい」
弾丸が入っていた金庫の奥から日下が取り出してきたのは、変哲もない使い古されているもののキレイな大学ノートだった。
米田は弾丸と拳銃を机に置いてノートに目を通すと、それは細かく改行されて日付が振られている日記であり、内容から若い女の――独身で夢見がちな――アイドルというキーワードに深い関心を持つ人物――であることを読み取った。
「国木優の日記帳……? どこでこれを入手したッ?」
「彼女の家ですよ、彼女が……生きていた最後の日、生死が曖昧になって……死体になった日、彼女の家から持って来ました」
「居たのか? その場に」
「……ええ、私が……」
震えていた。恰幅の良く立派な警官姿の日下長一の手は暖房の効いた部屋の中で指先を揺らし、福々しい頬と耳たぶの間を結露のような涙が伝った。
「私が……その拳銃で彼女を、殺したんです」
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